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ゲームは人殺しを育成するか?

Fandor looking at the TV

単刀直入に言うと、ゲームは人殺しを育成する可能性が確かにあるようです。

その理由とメカニズム、そして犯罪を犯すゲーマーと犯さないゲーマーの違いについて説明していきます。
(※この記事は『効果的なしつけとは?』の関連記事です)

これについては、“殺人”についてのとても興味深い本「「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム 」を基にして考察していきます。

この本の著者は、陸軍士官学校の心理学・軍事学教授であり、人殺し心理の専門家です。
戦場で部下の命を守るためにも、敵を倒し、生き延びることができる兵士を作り出すのが著者の役目なのです。

まず最初に知って頂きたいのは、いくら軍人であれ、射撃訓練によって射撃のプロになったとしても、そして敵がこちらに銃を向けているとしても、大部分の人は人殺しができないということです。

敵が発砲してきているにも関わらず、いざ撃とうと思っても、手が震え、引き金を引くことができない…
それが普通の人間なのだそうです。

しかし、戦場でそんなことを言っていては、簡単に敵に殺されてしまうでしょう。

そこで、第二次世界大戦以降、人殺しができる軍人を作り上げることができるよう、「殺人トレーニング」が考案されたのだそうです。そしてそのトレーニングにより、兵士は人を殺せるようになったのだと。

 

では、どんなトレーニングをしたのでしょう?

 

それは、ヒト型の標的を撃つゲームであり、殺せば殺すほど高得点がもらえるゲームであり、日本でも普及しているような暴力ゲームなのです。

それにより、人を殺せなかった兵士が、人を殺せるようになることが実証されているのだそうです。

 

ではなぜそういったゲームで、人を殺せるようになるのでしょう?

まず、その話に入る前に「人を殺す、殺される」といった極度のストレス状態に陥ると、ヒトはどうなってしまうのかを説明していきます。

簡単に説明すると、
内臓や表皮の血流は少なくなり、血液は骨格筋の大筋群に集中し、
論理的な思考回路から、動物的な(直観的・感情的な)思考回路にとってかわります。

それが、窮地における生き残りに優位な戦略であり、「逃走・闘争反応」と呼ばれています。

 

まず敵を前にし、闘うにしろ、逃げるにしろ、この窮地で内臓の働きは必要ないでしょう。そこで、血液は内臓器から骨格筋へと集中します。

表皮や、小筋群の血流も少なくなるため、手足の末端は冷え、微細運動(器用に細かい作業をするなど)は阻害されますが、これは、敵に傷を負わされた際に出血を少なくすることに役立っています。

そして、大筋群に血流が集中することで、闘うにしろ、逃げるにしろ、大きな力を発揮できるようになるのです。

 

さらに、脳の思考回路は、新哺乳類脳による倫理的な思考から、旧哺乳類脳による野生的な思考へとシフトします(新哺乳類脳や旧哺乳類脳について詳しくはこちら→『ヒトには三つの脳がある』)。

論理的な脳(新哺乳類脳)は、高度で複雑な計算や推論には向きますが、こういった状況では役に立ちません。
とにかく反応が遅く、独創性に欠けます。善悪の判断にこだわり、なかなか現実を受け入れられず、ものごとはどうあるべきか、かつてはどうであったか…などと考えてしまうのです。

一方、野性的な脳(旧哺乳類脳。著者は「野生脳」と呼んでいる)は、一瞬にして判断し、なにものにも従わず、規制や義務、礼儀にもとらわれず、必要とあればどんなことでもやってのけます。

戦闘の際には、人(論理脳)がなにを考えようが野生脳はいっこう気にしない。

理論的に言えば、野生脳の役目は、自然が人に与えた最も強力な能力、すなわち直観を得やすくすることだ。

直観というのは、頭よりむしろ、身体に染み込ませる反応であって、過去の経験がものをいいます。
窮地においては、遅くて制約の多い論理脳より、反射のように素早い野生脳の方がずっと役に立つのです。

ただし!それは過去の“よい経験”ありきの話ですが。

土壇場では、良くも悪くも、何度も繰り返し経験して身体に刻み込んだ条件反射(身体記憶)が現れるのです。それを実証する、大変興味深い報告があります。

射撃場で訓練する警官たちは、銃を抜き、二発撃ち、ホルスターに収めるよう教えられていた。

よい訓練法だと考えられていたのだが、後にとんでもないことが明らかになった。

現実の撃ち合いのときも、警官たちは二発撃つと銃をホルスターに収めてしまうのだ。相手はまだしっかり立っていて、こちらに撃ってきているというのに!(「戦争」の心理学

極度のストレス状態に陥ると、論理的なはずの頭は働かず、何度も繰り返し訓練して身につけた身体反応(条件反射)が、自動的に働いてしまうのです。
(直感や条件反射について詳しくはこちら→『直感と条件反射~偏見の構築』)

頭より身体。思考より反射。

 

さてここで、ゲームの話に戻りましょう。

人型の標的を殺しまくるゲームは、「人を殺せるようになるための訓練」とそっくりです。最近のモーションコントローラーなんて使ったら尚更です。(モーションコントローラーをナイフや銃に見立て、実際に身体を動かして敵を倒す)

それを続けているうちに、「人のようなもの」を殺すことに慣れてきます。抵抗感が薄れていくわけです。

「ゲームの画面と実物は違う!」という意見もありますが、直感(旧哺乳類脳)は、画面も実物も同じようなものだと認識しているのです。

試しに、大好きな人の写真の目玉に針を突き刺すことを想像してみて下さい。おそらくあなたの直感は、その行為に抵抗を感じることでしょう。

それはつまり、写真やテレビ画面に映る像も、実物と同じだと無意識に捉えている証拠なのです。
(論理的に考える頭(新哺乳類脳)では、「これは写真だ」と分かっていても、直感は実物だと感じてしまう。詳細は→『恐怖に操られる心理』)

そして、極度のストレス状態では、論理的な思考が麻痺し、直感に頼るようになることを思い出して下さい。

ゲームによって人型を殺すことに慣れた身体記憶“直感”により、(極度のストレス状態においては)人を殺すことに抵抗を感じなくなるのです。

 

そしてさらに、ゲームにおいては倒せば倒すほど高得点をもらえるため、「人の形をした何かを倒す」ということに快感を覚えるようにさえなります。
それにより、人を殺すことに対するハードルはさらに下がり、状況によっては人殺しができるようになるのです。

普通の状況ではそんなことは起こらないでしょうが、
イジメなど、人間関係で窮地に立たされたときや、何もかもに失敗して絶望の淵に立ったとき、生きる希望を失ったときなどに、論理的・理性的な脳の働きが鈍り、ゲームによって獲得した身体記憶が表に現れることもあるかもしれません。

可能性はゼロではないでしょう。

著者は言います。

 何十万という警察官が、二発撃ったら自動的にホルスターに収めるという訓練を受けていたが、実際の銃撃戦において、敵がまだ撃ってきているにもかかわらず同じことをやってしまった警官はほんのひと握りだった。

だがそれだけでも、この訓練法もやはりおかしかったことがわかる。

 何百万という子どもたちが毎日のように暴力的なゲームで訓練を受けているが、ゲームで身につけた技術と条件反射を実際に使って、前例のない大量殺人を引き起こす少年はほんの数人だ。

しかしこれだけでも、いまとんでもなく愚かなことが行われているのは分かるはずだ。

 

「誰でもいいから殺して死刑になりたかった」「世の中の矛盾を知らしめたかった」「注目を集めたかった」などなど、人は理由付けをしたがりますが、そんな理由は後付けに過ぎないことも、過去記事『都合のいいように理由をでっち上げる脳』にて説明しました。

行動の選択は直感によって行われ、その直感は、経験によって培われます。

暴力ゲームをすることによって、どうしょうもない窮地において「雑魚キャラを殺してクリアする」という選択肢が身体に刻み込まれる。

(ちょっと余談ですが、他人の家に勝手に上がり込んで、タンスやツボの中をのぞき見て、お金や道具を盗み取ることをよしとするゲームも、どうかと思います。そんなことを直感に植え付けないで欲しい。僕はドラ○エ大好きですけど、そういうところにはこだわって欲しいと思います。)

 

とここまで、暴力ゲームの悪影響ばかり論じてきましたが、いくら暴力ゲームに夢中であっても、優しく穏やかな日常生活を送る人もたくさんいるでしょう。

世の中を震撼させる事件を起こす人と、そうならない人は何が違うのでしょう?

著者は、その分析も行っています。

  • 学校で銃乱射事件を起こした生徒には、スポーツのレギュラー選手は一人もいない。
  • 規律の厳しい武道の訓練をみっちりうけたものはいない。
  • 中・高校生対象の軍事訓練を受けていたものはいない。
  • 競技射撃に参加していた者もいない。(競技射撃は非常に厳しいスポーツで、撃ってはいけないときや方向に撃つと厳罰が待っている)

などです。

これらの報告では、「厳しい訓練をすると暴力事件を起こさなくなる」のか、「厳しい訓練に耐えられる人は暴力事件を起こさない」のかという因果関係までは分かりませんが、相関関係はあるようです。

(さらに詳しく知りたい方は、ぜひ本を読んでみて下さい。様々なメッセージがたくさん詰まっている良書です→『「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム(Amazon) 』)

 

 

最後に確認ですが、ゲームの全てを否定するわけではなく、よくないと思うのは一部の暴力的ゲームだということです。

そして「暴力的」ということに関しては、ゲームのみならず、テレビドラマや映画、暴力的な事件の報道(自殺の報道も、自殺を促すことが示唆されている)なども含まれることも記しておきます。

 

次回は、「窮地においては身体記憶がものをいう」ということ繋がりで、防災・避難訓練について考察します。

 

次の関連記事→『訓練は“頭”にではなく、“身体”に憶えさせるもの

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