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特性5因子 ~共感する人~『調和性』

Graeae Embrace

 ※特性5因子診断をされていない方は、先に→コチラ←で診断をしてから読むことをおすすめします。

 

『調和性』

心の理論と呼ばれる心的メカニズムがあります。

この理論は、他者の心の状態を類推する能力のことで、関連した二つの能力、メンタライジング共感に分けられます。

メンタライジングとは、他者の信念とか欲望といった心的状態を類推したり理解したりできることです。この能力は、生まれてすぐから使えるわけではありません。
このことを示すのには、二つの指人形を使って短いストーリーを見せる実験が有名です。

舞台にはサリーとアンの二人がいる。舞台にはカゴと箱が置かれている。

サリーはおはじきで遊んだ後、おはじきをカゴに入れ、それから舞台を去る。

サリーがいない間に、アンがおはじきをカゴから箱に移し替える。その後サリーが戻ってくる。

ここで被験者(子ども)に質問する。
「サリーはまたおはじきで遊びたいようです。さて、サリーはどこを探すでしょう?」

 3歳までの子供たちはすぐさま質問に答えます。

「箱の中を見るよ!」「どうして?」「だってアンがおはじきを箱に入れたんだもの!」

ですが、4歳を超えると、子供たちはサリーがカゴの中を見るだろうと分かってくるのです。
これは、自分たちの知識(おはじきが実際には箱にある)と、サリーの心の状態(おはじきがカゴの中にあるという信念)とを区別することができるからです。

自閉症患者は、特異的にこのタイプのメンタライジング能力に欠けていることが示されています。自閉症の患者は、他のタイプの認知課題では成果を挙げるものの、他者の心の状態を類推するのはきわめて困難なのです。

さらに、最近になって、「正常」な成人の間でもメンタライジング能力にはきわめて多くの個人差があることが明らかになりました。

これを実証する課題は、人間のメンタライジングが入れ子状になっていることを利用しています。
私はあなたの考えを理解することができる、
私は誰かの考えについてのあなたの考えを理解することができる、
私はある人物の考えについての誰かの考えについてのあなたの考えを理解することさえできる… という具合に。

この課題を使った研究では、まず簡単なショートストーリーを被験者に見てもらい、その内容について「入れ子状質問」にて答えてもらうことで評価する。

ほとんどの人は入れ子の4番目のレベルまではかなり楽に行くことができる。つまり、次のような記述を見て、正しいかそうでないか確信がもてるというわけである。

「トムは、エドワードがジェニーと結婚したがっていると、スーザンが思っていると、ジムが信じるように、望んだ。

このレベルより上になると、辿って行くのは極端に難しくなります。例えば、次の例を試してみて下さい。

スーザンが 何をしたいのか、ジョンが知っていると、シーリアが考えているのかどうか、ペニーに見破らせたいと、トムが望んでいると、ペニーが思っていると、ジョンは思った。

もうさっぱりです。

ですが、正常な被験者集団の中でも、人によっては他と比べてこの課題をうまくやりこなす者たちがいます。この違いには意味があるようです。

例えば、課題を上手にやりこなす人は、それほどうまくない人に比べて友達が多いのです。

べス・リドルは学齢期の子ども用にこの課題を作りかえて実験を行った。

その結果、子どもの出来具合は、彼らが友達とうまく付き合えるかを評価した教師の査定と、強く相関していた。

このように、メンタライジング能力には個人差があり、それによる対人関係の違いが生じているようです。

 

そして心の理論のもうひとつの側面は共感です。

これもまた、他者の心の状態を推論することに関わっていますが、対象となる心の状態は“情動”です。他者の情動に共感し、自身の情動も動かされることにより、行動の選択にまで影響を及ぼします。

例えば、道ばたで重たい荷物を大変そうに(辛そうに顔をしかめながら)運んでいる老人を見かけたとする。

メンタライジング能力に欠ける人は、辛そうな表情を見たとしても、老人が「辛そうだ」ということが分からない。

メンタライジング能力があり、共感能力に欠ける人は、老人が「辛そうだ」ということが分かるが、自身の情動が動かされることはない。

そして、メンタライジング能力も共感能力もある人は、老人が「辛そうだ」ということが分かった瞬間、自身にも「辛い」という情動が生じる(これが「共感する」ということ)。そして、自身の「辛い」という情動を緩和させたいがために、老人に手を差し伸べる(共感により「助ける」という行動の選択が行われた)。

 脳画像によると、この共感能力が使っている脳領域は、メンタライジングに関わる領域のいくつかに加えて、実際に直接その感情をもつことに関わる領域なのです。

このように、メンタライジングと共感の能力は、はっきり重なっています。

ただ、後で述べるように人格形態によっては、どちらかが他方より強く関わっているかもしれないのです。

 

では、調和性に関する実例を見ていきましょう。

これは調和性のスコアがきわめて高いマリアの例です。彼女は話の内容から、学部のスター教師らしいと推測できるものの、彼女はそれに深く触れることなく、対人関係の方に話をもっていきます。

私の個人的な関係はすばらしく良好です。結婚生活、家族や親族との絆、義父母との関係、大学の同僚やいろいろな友人との関係、彼らとの間で長年に渡って育んできた愛情と友情は、私にとって非常に価値のあるものなのです。

彼女の研究室にはたえず人が訪ねてきては、おしゃべりに花を咲かせます。普通、大学人は勉強の邪魔をされるのを非常に嫌がるものですが、マリアは違います。

「私は人と付き合うのが大好きです。同僚たちとの交流は私にとって喜びです」

このように緊密な人間関係と、生産的な仕事を楽しんでいるマリアですが、彼女が関わっているのはそれだけではありません。

彼女の言葉を借りれば、「道徳的な意味で私にとって快い活動を少しだけ」やっているのだ。ボランティア活動、献血活動など。

道徳的な満足というこの考え方は、高い調和性パーソナリティーの本質をなす強い要素のようだ。

調和性のスコアの高い人の多くは、カウンセラーだったり、ソーシャルワーカーだったり、他人のために尽くすボランティア活動に関わります。
他者を助け、協力的で信頼でき、共感性があるとされ、人と争ったり、侮辱することもめったになく、何かあってもすぐに許し、実際に相手が悪くてもあまり怒るとこはない、それが調和性の高い人物のようです。

 

一方、調和性のスコアが低い人は、あまり他人を信頼したり助けたりせず、冷淡だったり敵対的になる傾向が強いです。また、人間関係は調和を欠きます。

あえて他者に敵対する行動をとるつもりがなくとも、相手の心の状態を正確に思い描くことができなければ、それによる行動は「敵対的」と映ることでしょう。そのため、しばしば相手からの敵対的な反発を誘うこともあり、協調的な相互交流に欠けます。

そしてそれが引き金となって、さらに他者への不信、敵対行動に拍車がかかる…

マリアの対比として、ある男性を例に挙げてみましょう。

この人物は、「家族への不信に苦しんだ」幼い時代のことを語る。

両親は「二人とも無責任な大馬鹿者だった。やつらの種で遺伝子プールを汚染する(生物全体としての遺伝子を劣化させる。という意)権利なんかなかったし、ましてそれを育てるなんてとんでもない話だ」そうである。

彼によれば父親は、「意気地なしで、嫉妬深くて、けちくさくて、幼稚な野郎」で、
母親は、「怠け者で、弱くて、愚かで、エゴイストで、幼稚で、なかでも嫌なのは嘘つきで… 何一つ良いところのない、信用できない女」だった。

これが客観的に事実かどうかはともかく、調和性の低い人物の書いたものの中でも、 これほど他者について敵意ある評価をしている例は見た事が無い。

また彼は、「私は人を助けるのは好きではない」「人道的な愛に駆り立てられて人類の病を救おうなどと、考えたこともない」のだそうだ。

調和性の極端に低い人物の中に、精神病質(サイコパシー)と呼ばれる異常が見出されます。精神病質者(サイコパス)とは、完全に自己中心的で、冷酷で、不正直で、愛する能力を欠き、もっぱら自らの目的を達成するために他者を利用する傾向をもつとされる人間です。

サイコパスの多くは札付きの犯罪者である。彼らはしばしば人をペテンにかけ、欺き、あるいは巧みに操って、富や名声、もしくは満足を手に入れようとする。

彼らはまた、際立って攻撃的である。ただ、すべての攻撃行動がサイコパシーのサインというわけではない。神経質傾向の高い人もまた、特定の状況のもとでは衝動的に攻撃的になるかもしれない。

すでに見てきたように、神経質傾向の高い人は、きわめて強いネガティブ情動システムを持っており、脅威と感じる対象に強く反応しがちなのです。

動物は、ストレスを感じると『逃走・闘争反応』が働くが、比較的弱いストレスなら逃走反応となりやすく、急激で強力なストレスやなら闘争反応が生じやすい。

鼠(ネズミ)は猫を遠くで見かけたなら、逃げるか、じっとして見つからないようにするなどの逃走反応を示すだろう。しかし逃げ場のない所で、急に目の前に猫が現れたなら、攻撃性を持つことは危険から脱する大きな手段となり得る(窮鼠猫を噛む)。

また、「攻撃すれば勝てそうなケース」においては、闘争反応となりやすい。

神経質傾向の高い人が攻撃を見せるときは、常に何らかの脅威や挑戦への防衛反応として起こります。そしていったんパニックが静まったあとは、おそらく自責や後悔に移っていきます。
(これは、妻を虐待する夫によく見られる傾向。妻の言動や行動が自分にとって脅威となったとき(自尊心を大いに傷つけられたときなど)の自己防衛本能によって攻撃的行動をとり、その激動が収まると、自責の念にかられ妻に泣きながら謝る。など)

しかしサイコパスの攻撃はこれとは違います。

サイコパスは道具として攻撃を使う。それは自分の利益になる何らかの目的を手に入れるためであり、事前に計画されたものである。

標的とされる相手からの挑発も必要なく、後悔を伴うこともない。彼らにとって、相手が味わう苦痛など、文字通り何の重みももたないのである。

もちろん、調和性の低い人すべてが道徳的に悪いわけではなく、必ずしも敵対的になるわけでもありません。

すでに説明したように、サイコパスは共感の欠如(きわめて低い調和性)が中核となりますが、誠実性と神経質傾向もきわめて低いというのが特徴です。
この三者構成システムのおかげで、ありがたいことに、反社会的行動をとるような人物が出現する可能性を下げているようです。

約、50人に一人が、この三つのうちの一つの「きわめて低い特性」を持っていますが(この割合は、ほぼ正確な推計です)、
三つとも「きわめて低い特性」を持つ可能性は、125000人に一人となります。
(※この三つの要素のうち、神経質傾向がきわめて高いケースにおいても、絶望的な攻撃行動(反社会的行動)へ向かう人々もいる)

 

ここで、低い調和性パーソナリティーが必ずしも敵対行動に結びついていないことを強調した理由は、低い調和性スコアにもかかわらず、現に良き市民として生活している人が多いからです。

デヴィットは外向性が低く、キャリアの野望や物質的成功にあまり心を動かされない人物であり、調和性のスコアも低い。 それにもかかわらず、彼はたよりになる夫で、良き父親であり、有能な教師であるとともに、信頼できる人物である。彼は哲学、科学、そして自然との触れ合いを楽しんでいる。

そして彼は、人々に対する自分の態度について、好感のもてる率直さで綴っている。

「たいていの場合、人間との付き合いは私にとって退屈に思えます。私は一人でいるほうが好きです。一人でいれば、自分の考えを好きなように羽ばたかせられるのですから。」

彼は自分でも、「人々への関心の欠如が、組織でうまくやっていくのを妨げている」ことを認めているが、それでも「自分を変えようとは思いません」と言ってのける。

確かにそうです。別に誰にも害を与えているわけではないのですから。

彼は言う。「大体において、私は必要もないのにややこしい事態に巻き込まれるのを避けています。対人関係もしばしばその手の面倒をもたらします。そこには、ステータスやランキング競争にからむ隠された行為や信号があふれており、私を苛立たせます。だからこそ、私はそんな交流に関わりたくないのです」

人々の会話が「隠された」事柄を含んでいると言っているあたりに、言葉の奥にある“心”を解読するのが困難な様子を伺わせます。

そしてこれは、自閉症という問題に繋がっていきます。自閉症もまた、心の理論に問題があるのですから。

だとすれば、自閉症とサイコパシーとの間にある違いは何なのでしょう?

そこには、心の理論の二つの構成要素、メンタライジングと共感の区別があるのです。

自閉症者にとって他者の心の状態を予測するのは難しいが、他の人が苦しんでいるのを見ると、比較的正常なやり方で生理的に反応する。

つまり彼らはメンタライジングはできないが、他者の苦痛を示すきわめて直接的な証拠をとらえると、たしかに共感するのだ。

これとは逆にサイコパスは、他者の心の状態を予測することにかなり長けている。だからこそ、あれほど効果的に人を操作したり欺いたりできるのである。

彼らはメンタライジングするが、共感はしない。したがって、必要なときに他者の心の状態を類推することはできるけれども、それらは彼らの行動の選択に全く影響をもたないのである。

特性5因子における『調和性』とは、メンタライジングよりも共感のほうにより近いようです。

調和性が低いということは、自閉症と違って、他者の心の状態が解読できないのではない。解読した結果に関心がないだけなのだ。

このように、他者の心の状態に関心を持ち、その結果、「他者の心の状態に合わせて自身の行動が影響を受ける度合い」が、調和性の高さと言えるのでしょう。

これで、調和性とは何か、おおよそ理解できたと思います。

 

 

 ではこの調和性が高い人たちが、人間関係と良好な社会的サポートを持てるのだとしたら、調和性は高い方がよいように思われます。

 しかし、進化論の“適応”という観点からすると、「よい」とは言えない側面もあるのです。

これは、調和性のスコアの低い人は他者の利益をゼロに近い所に評価し、スコアの高い人は他者の利益をかなり高く評価するという特徴から見て取れます。

例えば、食糧難の時代に、自分の分を全て他者に分け与えるような調和性のきわめて高い人は、子孫を残すことはなかったでしょう(現に動物の行動は、みな自分勝手で、他者へ譲ろうという意志は全く見えないように思える)

しかし、環境によっては、協力によって得られる利益の方が多いケースも確かに存在します。

この、「自己指向vs他者指向」の最適度が、局地的な生態環境によって微妙に変化しながら、調和性の高低差が維持されてきたのです。

 

そしてその高低差の変化には、頻度依存性というものが大きく関わっています。

これは、「ある行動が稀少である限りは報酬を受けるが、それが一般的になってくると不利になる状況」のことです。

何人かからなる人類の祖先のグループを考える。

彼らは資源をめぐって別の個人と対立すると、「闘う」か、「引き下がる」かのどちらかを選択できる状況で生きているとする。

ここでは、 調和性の低い人は「闘い」を選択し、調和性の高い人が「引き下がる」ことを選択するとして考えてみて下さい。

はじめのうち、その集団はつねに引き下がるメンバーだけしかいなかったが、あるとき突然変異によって、闘う個体が現れた。

その個体は、その集団において信じられないほどの“個人的成功”を収める。出会う相手はすべて、引き下がってくれるのだから。

その結果、彼らの適応度は高くなり、「闘う」彼らの子孫は繁栄することになるだろう。

しかし、「闘う」グループが集団の中で多数派になると、状況は変わってくる。
「闘う」個体同士が出会う率が高くなり、実際に闘いが起こり、たがいに傷つけ合って、双方に手痛い結果をもたらす。

この時点で、「引き下がる」グループが成功を手にし始める。闘いから生じる恐るべき代償をこうむらないですむのだから。

こうして彼らの適応度は高くなり、その子孫が優勢になってゆく。

そしてまた、同じ事が繰り返される。

このようにして、集団内には利益とコストによって決定される均衡比をめぐって、闘いを好まない人々と攻撃的な人々の頻度が変動していくのです。

 

これまでの考察から示唆されるのは、
調和性の高さは、良き社会関係 という点では利益をもたらすが、個人的成功という観点からすると、いくぶんかのコストもありそうだということです。

そしてこれが事実だという根拠もあります。

おおむね40代の企業管理職約4000人を対象とした研究によれば、収入、昇進度、社長になる可能性のそれぞれで、調和性のスコアはネガティブな予測要素であった。

これは、調和性が高くなるほど、収入、昇進度、社長になる可能性が低くなることを示しています(こういった研究は多々あります。他にも→『お人好しほど収入は少なくなる(WIRED NEWS)』など)。

言い換えれば、管理職としては、調和性が低いほど成功するのです。

さらにまた、クリエイティブ(創造的、独創的)な素質は開放性というパーソナリティー次元と最も厳密に結びついているのですが、現実にクリエイティブな仕事で成功するかどうかを予測するのは「調和性の低さ」だということが明らかとなっています。

成功したいならば、冷酷でなくてはならず、自分自身と仕事を第一に考えなくてはならない。

オスカー・ワイルドはこう述べている

「私の人生のどの時期においても、芸術と比べたとき、私にとって重要なものは一つとしてなかった」

人の上に立つような人物は、確かに調和性が低い傾向にあるようです(あくまで“傾向”ですが)。

経営者が部下の気持ちを理解していないと感じるのも、政治家には一般市民の気持ちが分からないと感じるのも、こういった側面があるのかもしれません。

 

そしてもう一つ、調和性において特筆すべき点があります。

それは、パーソナリティー研究における男女間の違いのうち、最も確かなものの一つに、女性が男性よりも調和性が高いという事実があることです。

調和性においては、平均的な男性が取るスコアは女性全体の七割よりも低いのだ。

実験的に女性にテストステロン(男性ホルモン)を与えると、共感的行動が少なくなることも示されている。

この違いは、人類の進化の歴史によってもたらされたのでしょう。

女性は、男性のように個人のステータスを獲得することよりも、
集団における調和的なメンバーであることによって、より多くの利益を手に入れてきたのであろう。

まず、きわめて高いステータスの男性は、多くの子どもの父親になることができるという事実があります。

一方、女性は出産能力には限界があり、子育てをする上での他者からの手助けも必要とされるのです。
そしてそういった手助けを受けるためには、高い調和性による社会的能力が役立ったのでしょう。

社会的能力のある女性は、自分と子どもたちを守るための優れた人間関係のネットワークを維持することができた。

繁殖を成功させる上では、調和性の低い男性、調和性の高い女性が優位に立ったことにより、この男女差が生じているようです。

 

メディアでたまに耳にすることに、「トップに立つのは男性ばかりだ。これは男女差別だ。」というものがあります。差別によって、女性の出世を押さえつけているのだと。

しかし実際には、社会的連携や良好な人間関係を犠牲にしてまでステータスを重要視する女性が、それほど多くはないことも考えられるのではないでしょうか。

男性も女性も、平均して同じモチベーションをもっているとは限りません。

社会のあらゆる分野で男女が等しく活躍するというのは、必ずしも期待すべきではない。

男女の違い、個々の違い、それはまさに千差万別です。

全く同じ状況になっても、その感じ方や対処法、個人的な選択肢には大きな違いがあるということは、理解すべきことでしょう。

 

→次の記事『特性5因子 ~詩人~経験への開放性』

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“特性5因子 ~共感する人~『調和性』” への4件のフィードバック

    1. 片柳さん、コメントありがとうございます。

      >他者の利益をマイナスに評価する人はどうなのですか

      調和性が低いと思います。
      そして同時に、外向性が高いか、神経質傾向が高いか、同じ行動でもさまざまな要素が絡んできますので、そこまでは分かりませんが。

      ぜひ、『パーソナリティーを科学する』の本を熟読してみてください。
      僕の解説よりもずっと詳しく書いてありますので。

    1. 片柳さん、コメントありがとうございます。

      >すべてに打算のみで生きる人は共和性が低いですか
      共和性と書いてあるのは、調和性のことでしょうか。
      人の気持ちに共感するのが調和性ですので、打算のみで生きているのであれば調和性は低いと思います。

      繰り返しになりますが、
      もっと知りたいのでしたら、僕に質問する前に、ご自身で『パーソナリティーを科学する』の本を何度か熟読してみてください。
      僕の解説よりもずっと詳しく書いてあります。

      片柳さんお一人のコメント返信に時間を取られ、今後の記事の作成に支障をきたしています。
      かなり限られた時間で記事を作成していますので、『パーソナリティーを科学する』の本に記載されているような内容の質問はご遠慮ください。

      勝手言って申し訳ありませんが、今後はコメントの内容を見て、「返信した方が他の読者さんのためにもよい」と思ったものだけを返信することにします。
      僕には、数分で簡単にコメントの返信ができるほどの知識や、明晰な頭脳も持ち合わせていませんので、すみませんがご了承ください。

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