今回は、社会心理学者のソロモン・アッシュが行った、にわかには信じがたい実験をご紹介します。
実験結果を紹介する前に、実際に実験の内容を見てみましょう。
まず、記事頭にある棒の長さを記憶して下さい。
記憶しましたか?
では、今、記憶した棒の長さは、下図のどの棒と同じ長さだったでしょうか?
おそらく、この問題を間違える人はほとんどいないのではないでしょうか(もちろん、Aです)。
しかしアッシュは、ここに巧妙な罠を仕掛けたのです。
同室に被験者を複数人集め、この質問に答えてもらった。しかし、その中には本物の「被験者」に混じって、実験者と共謀していたものが何人かいたのだ。
本物の被験者には知らせずに、実験者とグルの人がいたわけですね。
そしてアッシュは実験を行うにあたって、本物の被験者たちが答えを出す前に、これらの偽の被験者たちが大声で誤った答えを与えるように指示していたのです。
その結果は、驚くべきものでした。
対照実験として一人だけでテストを受けさせたときは、間違う被験者は皆無だった。簡単に線を識別できたのだ。しかし、他の人たちが同じように間違った答えを言うのを聞いた場合には、被験者の四分の三が少なくとも一度は自らの判断を放棄し、残り全員の意見に従った。
被験者はためらいを見せたり、ばつが悪そうにうす笑いを浮かべたり、うさんくさそうにカードを見つめたりするものの、その後は大勢にしたがって自分が認識した事実を修正してしまったのです。
これを読んだ方は、「間違っていると分かっていながら他者に意見を合わせたのでは?」と感じたのではないでしょうか?
しかし、神経科学者グレゴリー・バーンズによる、脳内の反応を見ることができるMRIを用いた実験により、大勢の意見を耳にすることで、認識している事実すら捻じ曲げてしまうことが判明したのです。
つまり被験者の一部は、大勢の意見に流された後、実際にその棒の長さがBやCと同じ長さだと、心から”信じていた”のです。(記憶が書き換わっていた!)
上記の実験は、明らかに正しい答えがあるものですので、大勢の意見に流されたとしても、それを信じてしまう人は半分以下と少数でした。
しかし、正しい答えがハッキリしないような曖昧な質問においては、さらに多くの人が大勢の意見に流され、そしてその見解が正しいものだと信じてしまうことが判明しています。
リチャード・クラッチフィールドが行った実験を見てみましょう。
被験者は「人生の試練と困難によって成長できると思う」という意見に同意するかどうか尋ねられた。他の人の答えを聞かされなかった対照グループの被験者は、全員が同意した。しかし、自分以外の全員がこの意見に反対していると思った実験グループの被験者は、31%が同意しないと答えた。
この実験において、「同意しない」と答えた被験者は、同意しないと答えた後は、それは自身が自分で考えた見解なのだと信じているのです。みんなに影響を受けたからという事実は記憶から消され、一度受け入れた「同意しない」という自身の見解に固執するようにさえなるのです。
ヒトは、無意識に他者の意見に引きずられ、それを自分で考え出した見解だと信じ込む。
これは、傍観者効果で説明したのと同じような情動が働いているようです。
こういった一連の実験から、「人は羊と同じ」と評されることもしばしば。
自我なんてものはどこにもなく、そこのにあるのは「確固たる自我が存在する!」ついう強い思い込みばかりのようです。
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う〜ん、また書いた記事の内容がリンクしているようで笑ってしまったよ。
肯定的にしろ、否定的にしろ、判断・評価が極端な人は自我意識の強固な人だね。
これは褒め言葉じゃないんだけど、現代では「確固たる自我」は良いことのようにも
捉えられてる。
そんな歪な自我を強化する極端な判断基準ですら他人の意見に影響を受けまくっていたりするのだから面白い。
「強い信念は単なる自我の強化」そんなことを意識し始めると、周りの人の苦しそうな様も見えてくるし、自分の意見への固執も手放そうと努力するようにはなるね。
なかなかうまくいかないけど。
精進、精進。
ほんと!不思議とリンクしますね。
固執することほど見苦しいものはないと思うのですが、そうは思っていてもやはり、難しいです。
今日も瞑想、瞑想。笑