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直観は正しい、ただし、単純なものに限る

ヒトは、ほとんどの意思決定を「閃き(ひらめき)」ではなく「直観」で行っていることがわかっています。

 

“閃き”では大脳皮質(新哺乳類脳)による論理的思考が働いているのですが、”直観”で働くのは主に皮質下(旧哺乳類脳、爬虫類脳)という違いがあります(新・旧哺乳類脳、爬虫類脳については→こちら)。

そのため、閃きは「ひらめいた!」の瞬間に、その理屈も理解できるものであり、直観は「理由や理屈はわからないが、そうだと思う!」というものになります。

推理小説で言うなら、探偵が「におうな…」というのが直観で、色んな証拠が繋がって「そうだったのか!」とはっきりと推理できた瞬間が閃きです。

ちなみに、多くのヒトは、直観で意思決定をしたにも関わらず、「理由ありきの決断だ!」と思い込んでいます。

その理由は、脳が都合のいいように理由をでっち上げるから。

おそらくこの事実に気が付いている人はほとんどいません。そして、理由をでっち上げている事実を当人が知らなければ、でっち上げていることに気づくはずもありません。そのため、「私の意思決定には、きちんとした理由があるよ!」と思い込んでいるのです。

 つまり、ほとんどの人が「理由あっての決定だ」と思いつつも、理由のない直観によって行動しているということになります。

恋人を決めるにも、選挙で候補者を選択するにしても、これがヒトの意思決定の大部分です。

 

「理由がない」というと、まったくの当てずっぽうだと思われるかもしれませんが、この直観というのは、大方正しいものです。

「この人は、こういうことを言いたいんだろうな」とか、「この人は、とっても良い人な気がする」とか、「あの犬は、すっごい吠えそうな気がする」とか、「この料理は美味しそうだ」とか。

そういうのは、けっこう当たっているものなのです。

 

例えば、次の質問に答えて下さい。

記事の冒頭にあった図形(↓これ)にはある名前がついています。どちらが「ブーバ」で、どちらが「キキ」でしょう?

あなたの直観は冴えているでしょうか。

答えは、左がキキ、右がブーバです。

そこに理由なんてありませんが(「ギザギザがキキっぽい」とかいうのは理由にはならない)、直観がその答えを教えてくれるのです。

 

しかし、次の質問はどうでしょう?直観で答えてみてください。

厚さが0.1ミリの紙を半分に折る作業を25回つづけると、最終的な厚さはどのくらいになるでしょう?

1回で0.2ミリになり、2回で0.4ミリ、 3回で0.8ミリ、4回で1.6ミリ、5回で3.6ミリ…、だから、だいたい10メートルくらいかな?いや、100メートルくらいになってしまうだろうか?

正解は、約3.3キロメートル(3355443.2ミリ)です。

衝撃的ではありませんか。

たったの25回折るだけで、0.1ミリが3355万倍の3.3キロになってしまうのですから。

つまり、ヒトの直観では、倍々で増えていくときの結果がどれほど急速に大きくなるかを正しく判断できないのです。

 

研究によると、100倍を超えると、1000倍でも100万倍でも、あまり違いを判断できないことが分かっています。また、1%より少ない0.001%なども、直観で判断することはできません。

例えば、「一般的な発癌率は10%だが、××をすると発癌率が30%になる」というリスクの変化は、直観で判断できます。

しかし、「一般的な発癌率は0.01%だが、○○をすると発癌率が0.03%になる」というリスクの変化は、直観で判断することはできません。

ちなみに、メディアはこういったヒトの特性を知っているので、リスクをアピールしたい時には「○○を使用すると発癌率が0.02%増える!」なんてピンとこない表記はせず、「○○を使用すると発癌率が3倍になる!」などと表現するのです。そうすれば視聴者は勝手に、10%が30%に増えるときと同じような印象を憶え、リスクを過大評価し、テレビに釘付けになるのです(ウソではないが印象を変える、印象操作ですね)。

 

このように直観は、とても大きい、またはとても小さい数字や、少し複雑な計算、確率論や統計なんかには、まるで役に立ちません。

そしてここには、進化論的根拠もあります。

ヒトの脳は、100~150人くらいの集団で狩猟採集生活をして暮らしていた石器時代のままですから、「150」を超える数字には対応していないと考えられているのです。

例え、10000人に一人しか発症しない感染症であったとしても、自分の集団(100人)のうちの1人が発症したとすれば、その確率は100分の1に感じるハズです。(つまり、10000分の1も、100分の1と同じくらいだと感じる。10000分の1という概念は、脳には備わっていない)

 

現在は情報化社会により、目にする分母のスケールは桁違いに大きくなっています。

そのため、「宝くじに当たる」「交通事故にあう」「起業に成功する」「殺人事件に巻き込まれる」など、こういった可能性を的確に判断するためには、直観ではなく、統計や確率論の知識が必要なのです。

ちなみに、確率論から計算して「交通事故にあう確率はとても高い」と理解してもなお!直観は「大して危険じゃない」と感じるのですから厄介です。

こういった、計算による理性的な危機感や期待感を直観レベルにまで落とし込むためには、数学による修練を大量に積まねばならないのです。

とはいえ、今さら数学を学ぶのも容易ではありません。正しい判断をするために、「自分は直観で行動している。しかし直観は、数字にはあまり役に立たない」ということを認識しておくだけでもよいかもしれません。

 

次回は、直観の誤りについて、そしていかにして直観が培われるかについて、もう少し掘り下げていきます。

 

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