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恐怖に操られる心理

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今回は、『リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理』という、とても興味深い本から抜粋しつつ、ヒトのリスク評価について考察していきます。

 

ヒトを含め、生物はみな「”快”を求める」ことより「”苦”を避ける」ことに重きを置いているようです。

生命を永らえ、より多くの子孫を残すためには、快楽を追うのではなく、危険なものから逃げるということの方が有用だったのでしょう。

そのため、危険なものやリスクが高いものは、すぐに目がつきます。そして恐怖を感じつつも、とても強い関心を抱くのです。

“怖いモノ見たさ”には、「身にふりかかるかもしれないリスクを、しっかりと把握したい!」という強い欲求があるようです。

テレビで放送されるニュースがいわゆる”悪いニュース”ばかりなのも、メディアが意図的にそうしていると同時に、視聴者もそれを欲していると言えるでしょう。

 

そして、こういったメディアによって目にする情報は、視聴者の行動を変化させ、時に思いもよらない悲劇を生みだすのです。

例えば、9.11のテロ(飛行機がビルに突っ込むシーン)は幾度となく放映され、視聴者にテロへの恐怖と共に、「飛行機に対する恐怖」を植え付けました。

そしてその結果、世界中の(もちろん日本も)飛行機の利用者が激減したのです。

ベルリンのマックス・プランク研究所の心理学者ゲルゴ・ギゲレンザーはこの点に着目し、移動手段と事故死についてのデータを根気強く収集し、論文を発表しています。

p.10 この論文によると、米国人の飛行機から車への移行は一年間続いた。その後、交通パターンは通常に戻った。また、予想通り、米国の路上での事故死は2001年九月以降急増し2002年9月に通常レベルに戻った。これらのデータから、飛行機から車への切り替えの直接の結果として車の衝突で死亡した米国人の数をギゲレンザーは算出した。

 その数は1595だった。この数字は、史上最悪のテロリストによる凶行における総死亡者数の半分を超える。九月十一日の不運なフライトの総搭乗者数の六倍である。2001年の悪名高い炭疽菌によるテロ攻撃による総死亡者数の319倍である。

 そして、亡くなった人の家族以外は、ほとんど誰もこの事実(自動車事故が起きていること)に気づかなかった。その家族さえ、何が起きていたかを本当に理解していたわけではなかった。夫や妻、父、母、子どもを亡くしたのは、現代世界で生活する上での残念な犠牲として受け入れられているありきたりの交通事故のせいだと考え、今もそう考えている。

 そうではなかった。彼らの愛する者たちを奪ったのは恐怖だった。

“恐怖”が行動を操り、その結果、交通事故が多発してしまったのです。このデータは、アメリカのみのデータですが、おそらく世界各国でも同様の事故が起こっていたに違いありません。

こういったリスクに踊らされる心理の奥には、”直観の誤り” があります。

前回、直観は数学に弱いということを書きましたが、直観の誤りにはもう一つの特徴があるのです。

それを説明する前に、まず、いかにして直観が培われるのかを見ていきましょう。

 

第一に、生まれ持った直観というものが存在します。

例えば、ヘビは危険だ、といったようなものは誰に教わらなくても身についているものです。

その理由は石器時代からの歴史にあります。

p.40 ヘビは死をもたらす脅威だった。だから、私たちはヘビに用心しろという教えを学んだ。あるいは、厳密に言うと、一部が教えを学び、その他は教えを学ばず、おぞましく死んでいった。このようにして自然選択が働き、ヘビに用心しろという決まりがついにはあらゆる人間の脳に組み込まれた。この決まりは普遍的なものである。地球上のどこに行ってもいいし、どんな文化を調べてみてもいい。みんなヘビに用心している。北極地方のように、ヘビのいない所でさえそうだ。

まったくヘビを見たことがない人でさえ、ヘビを見ると恐怖を感じるというのですから驚きです。

つまりこれは、”生まれ持った直観”なのです。

 ただし、これはヘビを恐れる”傾向”にすぎず、「ヘビに咬まれた!」などの経験によって強化されたり、「ヘビをペットにして触れ合った」などの経験によって薄れたりするものです。

そしてこの”経験”こそ、もっとも注目すべきポイントとなります。

 直観を培うのは、自分が体験したこと、見聞きしたことなどの”経験”に他ならないのです。

つまり直観は、経験による記憶をもとに構築されていくものなのです。

 

 

話は変わりますが、

あなたは、自分の子ども(家族や愛する人でもいい)の写真の目玉や心臓に穴をあけられるでしょうか?

写真は一枚の紙であり、子どもの分身ではありません。紙に穴をあけるだけですから、なんてことはないハズ。しかし、多くの人が嫌悪感を抱くのです。

p43 旧石器時代人は、自分の子どものように見えるものを見れば、それが自分の子どもであることに確信を持つことができた。写真術の発明の結果として環境が変化したとき初めて、人間は自分の子どものように見えるが自分の子どもでない画像を見ることになった。しかも、そんなことが起きたのは、わずか180年前に過ぎない。

理性的で高度な知能を持つ大脳皮質(新哺乳類脳)では、「写真は紙だ」ということを理解しています。しかし、「自分の子どものように見えるもの」を見て、「自分の子どもだ」と直観で判断するのは皮質下(旧哺乳類脳、爬虫類脳)です。そしてヒトは、直観を基に思考や行動を起こしている。

そのため、ヒトは写真を我が子のように感じるのです。

写真に穴をあけることに嫌悪感を抱くということは、直観は、理性や理屈では簡単には制御できないということを意味しています。(写真や動画に性的興奮を覚えるのも、脳が勘違いをしているために生じる。「これは紙切れだ」「これは液晶に映し出された連続写真だ」と理解していても、情動は実物を見た時と同じように働いている!)

 

そしてさらに、前回説明したように、ヒトの直観は、100人~150人の小集団に適応されるようにできています。

そのため、脳は、経験したり見聞きしたものは、「100~150人の自分が所属している集団内で起ったことだ」と判断してしまいます。

つまり、写真や動画を現実と勘違いしてしまうことを踏まえると、直観を生み出す脳(旧哺乳類脳、爬虫類脳)は、テレビの中の出来事を、自分の身の回り(100~150人の小集団内)で実際に起こった出来事だと判断してしまうのです。(日本国内のニュースでさえ、分母は1億以上になる。それを分母が100~150だと勘違いしている)

 

先に、直観は、経験によって構築されていくと説明しました。

ということは、例えば同じ映像が再放送によって10回放映されたなら、理性が「実際に起こったのは一回」だと理解していても、直観は「実際に10回起きた」と感じてしまい、そのリスクを過大評価するようにできているのです。そして、思い出しやすい事の方が「頻発する」と感じやすいことも実験により分かっています。

p89 リスク認識研究でよく認められている知見の一つは、夜のニュースになっている出来事によって死ぬ可能性を過大評価し、なっていない出来事を過小評価するということである。

例えば、「インフルエンザ」と「転倒事故」に対する危険度は、多くの人がインフルエンザを高く、転倒事故を低く見積もっています。(インフルエンザはニュースになるが、転倒事故はニュースにならないため。→こちら←のグラフをご覧ください。)

 

さらにもう一つ興味深いのが、ヒトのリスクの決定要因には、「悪者を懲らしめたい!」という感情が関わっていることでしょう。

p121 進化心理学者は、良くない行動をさせないようにする効果的な手段であるという理由で、この悪行を懲らしめたいという衝動が脳に組み込まれたのだと主張する。「自分の邪魔をする者に代償を払ってでも報復しようと感情的に駆り立てられる者の方が、成功する見込みのある競争者であり、相手に付け込まれることが少ない」と認識心理学者のスティーブン・ピンカーは書いている。

 起源がどうであれ、非難し懲らしめようとするこの本能は、リスクに対する反応においてしばしば決定的な要素となる。

 

ここまで挙げてきた科学的根拠を基に分かりやすい例を挙げるとすれば、”放射能”が最適でしょう。

「放射能のリスクは幾度となく放送され、紙面を騒がした」→その頻度によりリスクを過大評価する。

「そこには、東電や政府の悪行が少なからずあるとされている」→悪行を懲らしめたい衝動によりリスクを過大評価する。

ということになるのです。

そしてヒトは、直観を重視し、自身の直観を裏付けるように理由をでっち上げるようにできています(『都合のいいように理由をでっち上げる脳』参照)。

さらにヒトは、直観に沿うような情報を選り好みします(『あなたは都合のよいように情報を選り好みしている~確証バイアスとは?』参照)。

かくして、「放射能はわずかでも強大なリスクである!」という誤った見解を導き出し、その見解を保護し、貫き通してしまうのです。

他にも、遺伝子組み換え食品、農薬、テロ、殺人事件など、大きなニュースになるような事象に対するリスクも、超過大評価していると言ってよいでしょう。

 

実際は、交通事故、山や川、水の事故、スポーツでの事故、階段や高所からの転落、除雪作業時の事故…

こういった身の回りのことの方が、遥かに、遥かに危険です。そして、「危険だ」という意識一つで、多くの事故を防げるものばかりです。

リスク評価をする直観は、経験によって培われていくため、「車に何度も乗っているが、今まで危ないことは無かった」「何度も川遊びをしているが、今まで危ないことはなかった」という経験を積むことにより、そういった事柄に対するリスクを過小評価してしまう。

慣れれば慣れるほど、ヒトはリスクが減少していくように感じてしまうわけです。

 

リスクを適正に判断することは、健やかな生活を営む上でとても重要な問題です。

リスクを過大評価することの悪影響は、ヒトを死に追いやることまであります。

事実、悲観的でインパクトのあるニュースが放送されると、自殺者が増え、強盗や暴動、イジメが増え、出生率が低下して死産や流産が増え、心筋梗塞や脳梗塞、発癌率が上昇します。

そして、身の回りのリスクを過小評価することへの悪影響も、とても大きいのです。実際、そういった事故は、危険度を軽視したために起きていることが多いのですから。

 

 

主にリスク評価を行うのは直観であり、ヒトの主な意思決定は直観によるものです。そしてそれは、大抵うまく働いています。

しかし、「直観は役に立たないことがある」ということを知っておくとよいと思います。

それだけで防げる事故の数は、(直観に反して)想像を超えているのですから。

 

※この記事はこの本→『リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理』からほんの一部を抜粋したものです。おすすめの本。

 

→次の記事『直感と条件反射〜偏見の構築』

→前の記事『直観は正しい、ただし、単純なものに限る』

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