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行動遺伝学によると、これまで説明してきたようなパーソナリティーにおける遺伝的構成要素は、およそ50%だといいます。
そして残りの半分は、遺伝子型とは無関係ということになります。となると頭に浮かぶのは、子供時代の経験、病気、親の育て方、家族構成、学校生活、そして友人たち…などの環境による影響でしょう。
これらは未だに、十分解明されたとは言いがたいですが、その妥当性を検討することはできます。
それにあたって重要なのは三つのテストに合格することです。
第一に、たとえ世間一般に“常識”として認められている影響要因でも、行動遺伝学が示す証拠と矛盾するようなら、その概念は誤りである可能性がきわめて高いということ(固定観念を捨てろということ)。
第二に、影響要因だとされるものの証拠は、因果関係がさかさまであってはならないということ。(詳しくは後述します)
そして第三に、その影響要因には、なんらかの進化上の妥当性を持たなければならないということです。(詳しくは後述します)
これら3つのうち、一つでもそぐわないものがあれば、「○○の環境要因がパーソナリティーに影響を及ぼした」とは言えないのです。
ではまず第一のテスト、行動遺伝学について少し詳しく説明していきます。
行動遺伝学の代表的な手法は、一卵性双生児と二卵性双生児の比較です。
一卵性双生児は、遺伝子が完全に同一ですが、二卵性双生児では同じ遺伝子は半分しか持ち合わせていません。そして両者とも、同じ時期に同じ家庭で育つ。これらを比較すると、一卵性双生児は二卵性双生児よりはるかに似ていて、その相関を計算すると、遺伝的影響が50%という統計値が引き出されます。
また、一卵性双生児、二卵性双生児が、養子となって別々の環境で過ごしたケースを比較するものもあります。
一卵性双生児は、別々の環境で育っても、一緒に育てられた一卵性双生児と同じようにパーソナリティーが互いに似ています。
そして、別々で育った二卵性双生児は、生物学的兄弟にパーソナリティーが似ています(一卵性双生児ほどは似ていないが、同じ家庭で育った二卵性双生児もしくは普通の兄弟と同じくらいのレベルで似ている)。
さらに、 義理の兄弟と一緒に育った人物(遺伝子は全く違うが、家庭環境が同じ)のパーソナリティーは、ランダムに選んだ第三者に比べて、少しも似ていないのです。
(同じ家庭環境で、同じ親に、同じように育てられたにも関わらず、その家庭環境によってパーソナリティーが似ることはない!)
つまり、これらの研究から出された結論は、環境要因がパーソナリティーに及ぼす統計的な数値は“ゼロ”なのです。
この事実が、多くの波紋を呼んだ事は想像に難しくないでしょう。
子育てスタイル、喫煙、家族数、教育、人生哲学、結婚生活の状態、離婚、もしくは再婚は、子供のパーソナリティーに何ら重要な影響をもち得ないと言うのですから。
もしこれらのうちのどれかが、一貫した影響をもつとすれば、同じ家族で育った血の繋がらない子供同士は、ランダムに選ばれたペアよりもパーソナリティーが似ているハズなのです。しかし実際はそうはならない。
これは信じられないと思うでしょうが、但し書きが二つあります。
まず第一に、『家族』という基盤内においては、明らかに子供のパーソナリティーに影響をもつようです。家庭内での規則や兄弟関係は学習され、「この家庭内ではこう振る舞うべきだ」という習慣が出来上がるのです。
しかしそれは、その子供たちが家庭の外で他人と接するケースにまでは影響を及ぼさないということなのです。
第二に、この結論を出した研究が対象としたのは、おそらくかなりきちんとした家庭だということです。
極端に暴力的な、あるいは虐待された子供時代の経験は、その子供のパーソナリティーに永続的な影響を残すかもしれません。
したがって、これらの研究が本当に示しているのは、
通常の家族の範囲内において、共有された家族の要素は、その後のパーソナリティーに何の影響力ももたない
ということなのです。
衝撃的ではありませんか。僕が初めてこれを知ったときは、鳥肌が立ちました。
冷たい母親や家にいない父親、大家族、託児所に預けられる、などといった事柄がパーソナリティーを形成するという単純な思い込みはすべて手放さなくてはならない。
この第一のテスト(行動遺伝学に矛盾してはならない)において、多くのリストが外されたことになります。
では、しばしば報告されるさまざまなリサーチは何を意味するのでしょう。
離婚した親の子供たちは離婚する傾向が多いとか、母親がうつだと子供もうつになりやすいとか、子供のときに暴力を受けた人は大人になって暴力的になりやすいとか…
実は、こういったリサーチが見出すのは遺伝的性質なのです。つまり、第二のテスト(因果関係がさかさまであってはならない)によって省かれるのです。
親と子供が同じような遺伝的形質をもっているが故に、子供は親と似たような特性になるのであって、「親が離婚した」とか「暴力を受けた」という環境要因が子供に影響を及ぼしたわけではないのです。
1999年のNature(世界一流の科学雑誌)に、「夜、常夜灯を点けながら乳幼児を寝かせると、その子は近視になる」という論文が掲載された。
2歳になるまで、夜間、寝室のライトを点灯させずに育てる子供が将来近視になる割合は10%に満たない。しかし、夜間5ワットの常夜灯を点灯して育てた子供は34%が近視になり、明るいルームライトを照らした部屋で寝かせた子どもは55%が近視になったというのだ。
しかし、翌年、反論の記事が出た。近視の親は、自分の子供がよく見えるように常夜灯を点ける傾向がある。つまり、近視は遺伝したのだということだ。(『進化しすぎた脳』より)
「両親と子供の近似性」も、また「子育ての行動とその子供の成長後の行動の近似性」も、そのほとんどはこのように説明することができるのです。
環境が及ぼす影響というのは、「○○という出来事があるなら外向性が高くなる」とか「親が△△をしたなら神経質傾向が高くなる」とか、そんなに単純なものではなく、もっと微妙で、さまざまな要因が複雑に絡んでいます。
両親の離婚への反応にしても、ある子供は家庭の外できわめて外向的になるかもしれないし、別の子供は引きこもって内向的になるかもしれない。
同じ出来事に対して、個々の人間がどのように 反応するかを決める大きな要因は、やはり遺伝子型なのです。
もともと神経質傾向の高い子供は、ネガティブな人生の出来事に劇的に反応するかもしれず、それが連鎖反応となって神経質傾向の特性が助長されるかもしれません。
そして一方で、ネガティブな人生の出来事でも、神経質傾向の低い子供はすみやかに立ち直り、その経験から自信を得ていくかもしれません。
さらに、個々人に生じる一見“たまたま”とも思える出来事ですら、パーソナリティーに影響を受け、起こるべくして起きていることが多々あります。
これは、状況喚起と、状況選択として説明され、以下のようなものです。
たとえば(調和性の低い)私が忙しいオフィスにおいて同僚を怒鳴ったとする。
同僚たちは当然不愉快になり、このあと私が仕事で使いたいものがあっても、わざとぐずぐずするかもしれない。
あるいは仕返しするために、私を苛める陰険な方法を考え出すかもしれない。特に同僚の中でも調和性の低い人は、特別な反応を示すだろう。私の態度を無視するとか、笑い飛ばすとか、対決の機会を探し求めることにもなりかねない。
こうして私は、自分の低い調和性からくる間接的な結果として、さまざまな敵を作り、争いを生む。そして「低い調和性」という特性はさらに誇張されていくことだろう。
これが状況喚起です。自分がすでにもっている特性によって誘発した「他者からの反応」が、自分がすでにもっている傾向を持続させたり誇張させたりする場合を言います。
パーソナリティが状況にもたらすそうした効果は、ごく普通に見受けられます。
そして状況選択というのは下記のようなものを言います。
なぜ外向的な人は、他の人よりも行きずりのセッ〇スを楽しむことが多いのか。
おそらく内向的な人の多くもまた、そうしたいのだ。実際に状況が許せば(人目のつかない場所で、きわめて魅力的な異性に誘われたなら)、彼らもそうするはずである。
ただ内向的な人の場合、なかなかその種の状況に身を置くことはない。
外向的な人は見ず知らずの人にも簡単に話しかけるし、すぐ知り合いになり、多くのパーティーに出かける。むろん外向的な人がいっぱい集まっているパーティーである。
実のところ、パーティーとは本質的に、外向的な人間がおたがいを見つけ出すための仕掛けなのだ。
こうして外向的な人は一連の選択の末、行きずりのセッ〇スがしやすい状況へと行き着くのである。
そういった行動自体は、完全に状況(今私は、魅力的な異性と二人きり…)によって決定付けられているとしても、
外向的な人はそれ以前の状況の選択を通じて、行きずりのセッ〇スに至るような機会が多くなるわけです。
この状況喚起と状況選択により、環境要因と思われる事柄も、もとはパーソナリティーによって端を発していることが多々あり、
そして、完全に偶発的な事柄でさえ、その影響の受け方はパーソナリティーによって違い、自身のパーソナリティーを助長させることがほとんどです。
また親は、子供たちに違った扱い方をすることがありますが、それも子供たちがそれぞれ違ったパーソナリティーを持っているからなのです。
勉学に、ほんの少し強みを持つ子どもは、親や教師に学問の道を目指すよう励まされ、知的活動が報われることを知り、勉強して他の知的訓練にも取り組むようになる。こうした環境による「増幅器」を働かせ、より効果を生むのだ。(『頭のでき―決めるのは遺伝か、環境か』より)
上記の親や教師による「学問のススメ」は、確かに環境要因と言えます。しかしそれを誘発したのは、やはり遺伝的パーソナリティーであるとも言えるのです。
このように考えると、記事冒頭で書いた三つのうち、一つ目(行動遺伝学的な所見と矛盾しない)と二つ目(影響要因だとされるものの証拠は、因果関係がさかさまであってはならない)のテストで、すでに多くの候補が外されることになります。
では、三つ目のテスト、進化の妥当性についてはどうなのでしょう。
このテストは環境要因について考える上でとても重要なのですが、少し詳しい説明が必要になるので、(長くなりましたし)次回にまわすことにします。
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