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特性5因子 ~パーソナリティーを変えることはできるのか?

Female adult of the water flea Daphnia magna by Hajime Watanabe

 ※特性5因子診断をされていない方は、先に→コチラ←で診断をしてから読むことをおすすめします。

 

前回の続き、パーソナリティーに影響を及ぼすとされる、環境要因の評価における第三のテスト、進化上の妥当性について少し詳しく説明していきます。

では、ミジンコの話から。

ある種のミジンコは、頭と背に突起があるものとないものとがある。突起の有無は遺伝ではなく、完全に環境要因によるものだ。

突起があれば、まわりに捕食者がいる場合には保護の役割を果たす。 ただし、突起を生やすにはコストがかさみ、成熟に時間がかかり、捕食者がいないところでは生き残りに不利である。

つまり、突起の有無の決定は、捕食者がいるのか、いないのかという環境によって変化させるのがベストなわけです。

そこでミジンコは、捕食者が放出するカイロモンと呼ばれる化学物質を検知して、自分の成長パターンを決めているのです。

それができるのは、ミジンコの遺伝子に、あるメカニズムが明記されているからなのだ。

「もし環境的キューX(カイロモン)が存在すれば、より多くのY(突起)をもった形態を発達させよ」

このようなメカニズムが進化しうるのは、Xが統計的にきわめて優れたキュー(Yが生存と繁殖に有利)であるときだけである。

言い換えれば、 Xとは、その個体が生きる上でYが役に立つことを確実に予測するものでなくてはならない。

環境的影響について考えるとき、このことを忘れてはなりません。

進化によって成体形が環境に影響されるのは、特定のキュー(手がかり、合図)を特定の結果へと導くメカニズムがあるときだけであり、そのメカニズムが存在するのは、その形態が有利であることがキューによって確実に予測される場合だけなのです。

つまりこれをヒトに当て嵌めるなら、 「おまえが生きる事になる環境がXのように見えたなら、Yというパーソナリティーを発達させよ」というメカニズムが必要なわけです。
そしてもし、そのようなメカニズムが存在するとしたら、 そのキューは、その人間が大人になったときに生活することになる環境状況を現実に予測するものでなくてはならないのです。

これを踏まえると、またいくつかの環境要因の候補が外されます。

たとえば「愛着理論」。
これは母・幼児の絆が一連の関係ひな形を形成し、子供は成長したあともそれを重要な対人関係にあてはめるというものです。(もし子供が、他人に対し薄情に育ったなら、「それは幼児期に母親の愛情が足りなかったからだ」という考え)

もちろん、母子の関係がきわめて重要であることは疑いようがありません。

ですが、「母と子」という一つの関係でもたらされた相互作用のタイプが、一生を通して今後出会うすべての相互作用を予測するようなことはありえません。

あなたの母親は病気かもれないし、ポジティブで活発かもしれない… そんな特異な事柄を基準にしてあなたの全パーソナリティーを調整するのは、進化の面からもほとんど意味がないのです。

そして、愛着についてのさまざまな研究が、これを裏付けています。

母親がうつの子供たちは、母親との関係では異常に沈んだ状態を見せる。だが幼稚園の先生と一緒にいるときには、その状態は消えて、普通に行動する。

当然のことだ。彼らが母親との相互作用から学習することは、「母親がどうであるか」であって、「世界がどうであるか」ではないのだから。

こういった進化の妥当性から評価すると、「兄弟の生まれ順によるパーソナリティーの違い」も信憑性が薄いように思われます。

生まれ順でよく言われるのが、「第一子は誠実性が高く、調和性が低いが、あとから生まれた子供はとりわけ反抗的で、経験に対して開放的だ」というものです。

調査によってはこれらの違いをいくらか裏付ける証拠が見出されましたが、これらの研究には、評価において「思い込み」が働いているようなのです。

大方、人が自分と兄弟のパーソナリティーを評価するとき、年上の兄弟は自分より少々まじめだと見なし、年下の兄弟は自分よりも反抗的で遊び好きだと見なすものです。

ですが、「まじめ」というのは「成熟した」という表現とやや似ており、「反抗的で遊び好き」というのはどちらかと言えば「子どもっぽい」と類似しています。

普通、年上の兄弟のパーソナリティーを想像する時は、いつも「自分より先に生まれた存在」として思い出します。
そして、年下の兄弟を思い出す時は、やはり、自分より若い相手なのです。(親が子供を見る時も常に比較している。そして幼少期のイメージや偏見は、その子どもが大人になってからも続いていく)

したがって、評価者が年下の兄弟を反抗的だと見たり、年上の兄弟をまじめだと見なすのは、当たり前すぎる結果なのです。

こういった評価が意味をなすのは、家族とは無関係な人が評価したケースを考察する場合のみですが、そういった第三者を使って調査した場合、おおむね影響は見出されないのです。(つまり、生まれ順がパーソナリティー形成に影響を及ぼすことに関しては、説得力のある科学的裏付けはない)

たまたま母親から何番目に生まれたということが、人生のチャレンジに取り組むときの最善の方法を予測するなんてことは決して無い。

実際、その情報はまったく誤った予測を導きかねないのだ。

ひょっとしてあなたは、家族の中では身体的に一番劣った子供だったかもしれない。だが、あなたが大人になってから出会う人の90%については、あなたの方が身体的に勝っているかもしれないのだ。

つまり、「家族」という狭い社会の中で学習してきた家族状況への対処法を、たとえば大人の求愛とか、昇進を巡る同僚との競争にまで一般化するのは、大抵意味のないことなのだ。

 

このように、「生存と繁殖において優位に立つ」という進化上の妥当性から考えると、持って生まれたパーソナリティーを変化させるほどの環境要因はあまりないように感じます。

では、その「進化上の妥当性」を軸に、有力だと思われる環境要因とはどんなものなのでしょうか。

考えられる要因のうち、きわめて重要な側面は、身体を始めとしてその人のもつさまざまな特徴です。

人が危険を及ぼしうるものに対してどのくらい神経質になるかは、半ばその人の足の速さや、免疫システムの質などによって左右される。

人が危険な報酬を追求するかどうかは、その人物が強くて魅力的かどうかに大きくかかっている。強ければ、事がうまくいかなかった時にも対処できるだろうし、魅力的なら、社会的報酬や性的報酬を手に入れるための大きな鍵となる。

同様に、ある人が問題の解決にまじめに取り組む必要があるかどうかは、その人がどれくらい明敏であるかによる。頭の回転の速い人は移動中の飛行機の中で準備してしまう。

他にいくらでも例を挙げることができる。

いずれにせよ、進化が私たちの中に、それぞれの健康、知能、体格、魅力に合わせてパーソナリティーを調整する能力を作り出したという考えは、きわめて道理にかなっている。

この種の影響を裏付ける証拠はいくつかあります。

第一に、肉体的均整のとれた人は、そうでない人よりも外向性が高いです。

均整のとれた個体は、そうでない個体よりも傾向として健康であり、そのために他者からも明らかに魅力的だと見られます。
外向性を巡る報酬とリスクのバランスを考えると、非常に健康で、他の人から魅力的だと見なされる個体の方が、外向性が高く設定されることはきわめて理にかなっています。

また男性では、体格が大きくなるにつれて、外向性のレベルは高くなります。
多くの男性は「あと数センチでも身長が高ければ…」と望んでいますが、それは他者と競争する際、体格が良い男性の方が生存と繁殖に有利だということを意味しているのです。(女性の場合は、身長は関係ありません。これは、女性は体格を駆使した競争を行わないため)

大規模な調査によって、身長と男性の収入との間にはプラスの関連が見出されています。そして、この調査によると、大人になってからの収入の差を生む変数は、十代のころの身長の高さだったのです。

十代の頃、比較的背が高かった少年は、社交的で運動の得意な若者になり、これが恒久的に彼らをやり手になるように調整したようである。

これを聞くと、身体的特徴も遺伝するのだから、結局は遺伝的要因なのではないのか?と思われるかもしれません。ですが、それは部分的には間違っています。

身長や魅力などの身体的特徴は、完全に遺伝性とは言えないのである。それらはまた、子ども時代の病気や事故のような、時折生じる環境の出来事の影響を受ける。

パーソナリティーの発達は、遺伝性の変異だけでなく、これらの非共有の、そして偶発的な環境的出来事の結果にあわせて補正されていく。

このようにして、子ども時代に遭遇したまったく予測不能な不運な出来事が、大人になってからのパーソナリティーに長期に渡る重要な影響をもちうるのである。

 

さてここまで、パーソナリティーに影響を与えるかもしれない環境要因のいくつかを採り上げ考察してきましたが、友人に「ちょっとだけ分からないことがある」と指摘されましたので、ちょっとだけ補足説明をします。

それは、「環境要因によってパーソナリティーが変化することは確かだが、特定の環境要因がパーソナリティーに及ぼす統計的な数値は“ゼロ”」という、ややこしい事柄に関してです。

これについては前回記事にて示した、「まったく同じ出来事(環境要因)でも、違うパーソナリティーを持つ子供においては、違った変化を起こしうる」ということが関係しています。

例えば、子供を海外旅行へ連れていくとします。

外向性が高い子供は、大いに楽しみ、新しい体験や出会いの素晴らしさを学び、より外向的になっていくことでしょう。

そういった環境による変化は、「一卵性双生児は、成長すればするほど、互いのパーソナリティーに違いが生じてくる」ということからしても明らかです。そして、そういった変化の割合を計算すると、約50%ということになります。

しかし、もともと外向性の低い子なら、その海外旅行によって、魅力よりも煩わしさの方を強く感じるかもしれません。もしそうなら、「もう旅行はうんざりだ」と、より内向的になることでしょう。

また、外向性が高い子供でも、予期せぬ出来事によって旅行を楽しめず、外向性を低くする要因となる可能性もあります。そして、外向性の低い子供でもたまたま旅先で出会った人と意気投合し、旅行を楽しみ、外向性を高める要因となるかもしれません。つまり、環境がどう作用するかは偶然の要素が大きく、予測不能なのです。

全くおなじ環境要因でも、このように外向性を高くすることもあれば、低くすることもある。
そして、この二人の子供の「海外旅行」という環境要因によるパーソナリティーの変化を平均化すると、両者の変化は相殺されて“ゼロ”となるのです。

そのため、こういったさまざまな環境要因を無数に集めると、統計的な数値は“ゼロ”になるわけです。

 

ここまでの考察から得られることは、
環境要因は確かに存在するのですが、そこには遺伝的要因を基に、予測不能な様々な事象が複雑に絡んでいるため、それらをコントロールすることはとても難しいということです。

子育てにおいて、両親の愛情や、しつけ、叱り方、教育、そして友人関係(実は、これが一番影響を及ぼすとも言われている)が大切なのは、さまざまな調査を通じて明らにされています。

しかし、全く同じ遺伝子をもった子供に、全く同じ状況になるように子育てしたとしても、その結果は決して同一にはなりません。もし僕が、もう一度同じ環境で育ったとしても、全く同じ大人に成長することはないでしょう。

 これまで考察してきた他にもさまざまな環境要因はあるだろう。たとえば、成長期の子供が仲間集団の中で占めることができるニッチは、気質メカニズムの微調整に微妙な影響を与えるだろう。

それにしてもこれだけは言える。

遺伝子の影響にせよ、胎児期環境の影響にせよ、出生後の環境の影響にせよ、
それらはすべて、わたしたちが自覚した大人になるよりもずっと前から、自動的に、容赦なく、そして私たちの意志とは明らかに無関係に、それぞれの仕事を果たしてきたのである。

いくら環境を整えても、一個人のパーソナリティーを理想通りに変化させることなど不可能なのです。

 

これは一部の人たち(自分の、または子供のパーソナリティーを変えたいと願う人たち)にとっては酷な事実かも知れません。しかし、ここからが最も重要なメッセージとなります。

それは、「パーソナリティーを“思い通りに”変えることができなくとも、生き方を変えることはできる」ということです。

次回は、特性5因子の総まとめとして、そのヒントを紹介し、『思考癖の直し方』へと繋いでいきます。
(実はこれまでの特性5因子記事は、『思考癖の直し方』という長ぁい一連記事の一部なのです)

 

→次の記事『特性5因子 ~自分らしく生きるということ

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