photo by Hartwig HKD
今回は、性格診断【特性5因子】の神経質傾向についてまとめました。
※特性5因子診断をされていない方は、先に→コチラ←で診断をしてから読むことをおすすめします。ちなみに僕の神経質傾向のスコアは2、「きわめて低い」でした。
まずは、スーザン(仮名。実在の人物)の人生からみてみましょう。
これだけでも神経質傾向の特性がイメージできると思います。
世の中には、ありとあらゆる不幸を自分から背負ってしまうような人がいる。スーザンもその一人だ。
ロンドン郊外のハイスクールに通っていた彼女は、卒業を控えて、将来の人生について考えていた。教師たちはオックスフォードを受けるよう薦めた。なにしろ彼女は、学校始まって以来の秀才だったのだ。だが彼女はオックスフォードにも、もっとやさしい大学にも、それどころか大学にも願書を出さなかった。美術学校に入りたい気持ちがあったものの、事前に見学してみて、中退する学生の数があまりにも多いので心配になった。
それでは何をしたらいいだろう。
「答えはすぐにやってきました。地元のユースクラブに入っていた友達グループから、私も誘われたのです。二、三週間もしないうちに、私は生まれて初めての恋に出会いました。最初の夫になったアダムです。アダムは建て売り住宅の仕事をしていて、たくさんお金を稼いでいるようでした。彼はとても魅力的でハンサムでした。私たちは恋に落ち、結婚したいと思いました。私は学校をやめ、事務の仕事につきました…そんなふうに私がまごまごと遊びをしている間に、大学に行った友人たちとは縁が切れてしまいました。」
しかし、スーザンのロマンチックな生活は長続きしなかった。
「仕事は退屈になってきました。自分が人生について正しい判断をしたのかどうか分からなくなりました。結婚生活は二年続きました。結婚して間もなく、私は気分がすぐれなくなりました。」
彼女の気分がすぐれなかったのは、うつ病にかかっていたためだった。結婚生活について、スーザンはこう述べている。
「私は完全な妻になりたいと思っていました。でも、何かが狂っていて…それが何だったのか、今でもわかりません」
アダムは短気で怒りっぽく、結婚する前にも何度かスーザンは殴られていた。やがてアダムはスーザンを支配し、虐待するようになったのだ。
生活費はすべてスーザンが払い、アダムは仲間たちと飲みに出かけ、スーザンのうつがひどくなるにつれ、アダムの暴力は増していった。
スーザンにとって希望のない孤立した日々が続いた。しかしそれも終わりを告げる。
ある時、スーザンは地元のジャズ・ミュージシャンに出会い、一目惚れしたのだ。
彼女は勇気を奮い起こしてアダムのもとを去り、両親の家に戻り、人生のやり直しにかかった…と言いたいところだが、実はそうとは言えなかった。
新しくパートナーになったミュージシャンは結婚しており、悪名高い女たらしだったのだ。彼はスーザンを裏切り続け、しょっちゅう浮気をした…
何年か経って、スーザンはようやくそのミュージシャンとの泥沼から抜け出し、二番目の夫となるスティーブンと出会う。
「彼にはどこか哀れを誘うところがありました(いつも酔っぱらっていて、一文無しで)。何だか気の毒に思えたのです。」
彼女自身、二人の関係に未来があるとは思えなかったが、二年ほど経って彼らは結婚した。
はじめのうちは、万事うまくいくように思えたが、やがてスティーブンの仕事がうまくいかず、知らないうちに何回か仕事をかわっていることがわかった。
「帰宅がどんどん遅くなっていきました。帰ってきたときには酔いつぶれていて、ひどい状態でした。彼はお金を渡したがらなくなり、理由は知らされないまま給料が遅れることがしばしばありました。」
スティーブンの酒癖は悪化する一方で、それが原因で失業した彼は、スーザンに対してひどい暴力をふるうようになり、やがてその暴力が娘に向かった時、ついに別れを決意した。
スーザンは前よりも頻繁にうつの発作に見舞われ、自殺を考えるほどになり、仕事を休むことが多くなった。ついに彼女は仕事を辞めたが、退職金はもらうことができ、しばらくはこれでやっていけるだろう…
なんてネガティブな人生なのでしょう。
この波乱に満ちた人生を歩んだスーザンは、神経質傾向がきわめて高い人物の一人です。
神経質傾向が高い人は、
ネガティブな情動が多く見られ、実際にネガティブな厄介事に巻き込まれることも多いのが特徴です。
外向性がポジティブな情動と関わるように、 神経質傾向はネガティブな情動に関わっています。
ネガティブな情動、つまり、恐怖・不安・恥・罪悪感・嫌悪感・悲哀などの不快感と大きく関わる特性なのです。
不快感を感じるのは、それらの経験を避けるためです。そもそもこれは、すべての人が持っている情動です。
ポジティブな情動が、よい事柄を探し出し、それを目指すための特性だとすれば、
ネガティブな情動は、祖先の環境で悪かったであろう事柄を感知し、それを避けるための特性なのです。
ちなみに、外向性が高く、神経質傾向も高い人は、ポジティブにハイテンションになったかと思うと、ネガティブに沈み込むこともあり、情動の振れ幅が凄まじいです。
そして、外向性、神経質傾向ともに低い人は、情動が大きく変化することはなく、淡々としています。
危機を避けるために必要ではあるこの特性ですが、
神経質傾向が高い人ほど、簡単に、そして長期に渡って不快感に囚われてしまいます。
一方、神経質傾向が低い人は、不快感を感じることがあまりありません。例え感じたとしても、すぐに立ち直って忘れ去ってしまいます。
特に、神経質傾向がきわめて高い場合、なんと99%が意味の無い悩みで占められているといいます。
夜、眠れずに、同僚を怒らせてしまったかもしれない…とくよくよしているあなたは、おそらく必要もないのに心配しているだけだろう。
そしてネガティブな情動は、悪いことが起こると、それを最悪の解釈にもっていく傾向にあります。「何もかも私が悪かった」「みんな私を嫌いなんだ」「私は絶対に成功しない」などなど。
これを「私は最善を尽くしたけれど、状況が私に不利だった」「あの人たちのほうが考え違いをしている」「今度こそうまくいくだろう」とはなかなか考えられないのです。
そういった自分に対する自信の無さ、きわめて低い自尊感情により、失敗に終わってしまいそうな選択や、自分が傷ついてしまうであろう選択に飛びつきやすいのです。(自分を大切にせず、自分を犠牲にしているといえる)
それにより神経質傾向の高い人は、ネガティブな出来事に強く反応するだけでなく、ネガティブな出来事自体が多く起こるのです。
さて、ここまで話すと、神経質傾向は低い方がいいのではないか?と思われるかも知れません。
しかし、これはどの特性因子の、どのレベルにおいても言えることですが、 長所も短所も存在するのです。
まず、神経質傾向が低い人は、危険なスポーツや仕事(エベレスト登山家、命綱無しのクライミング、レーサー、スタントマンなど)に関わることが多く、実際、命を落とすことがあります。
また、強引で、攻撃的で、社会のルールを破るような人は、神経質傾向が低い可能性があります。
いくつかの研究が明らかにしているように「成功する精神病質者」(冷酷で、口がうまく、嘘つきで、他人を利用する人間。詐欺師など。)は神経質傾向が低く、自分の行動の結果がどうなるかについて何の恐怖も持たない。
ある程度の神経質傾向も、社会的な行動をとるために必要なのです。
(※ただし、低い神経質傾向だけがそうした反社会行動を生むわけではありません。低い神経質傾向に加え、低い調和性、低い誠実性が組み合わさると、反社会的な人物になりやすいようです。)
そしてさらに、神経質傾向が高い人のいくらかは、少なくともそのせいで成功しているようです。
不安や恐れがあるが故に、必死で努力し、学業も優秀で仕事においても懸命にこなす傾向にあるのです。
また、詩人、作家、画家やアーティストなどは、高い神経質傾向を持つ人が多いです(共に『開放性』も高くなくてはなりませんが)。
彼らは、自分自身や社会、ものごとの現状が正しくないと感じるが故に、悩みに悩みぬき、そこに意味を見出だすことに関わる分野で、いわば革新者になるのでしょう。
そしてもう一つ、神経質傾向が利点となることがあります。
昔から言われていたことですが、人は自分の行動の結果について楽観的すぎる傾向があり、そのせいで失敗することも多々あるのです(『楽観主義で自信過剰、それがヒト』参照)。
その点、神経質傾向の高い人は、熟慮し、必要ならプランを変え、あるいは捨て、あるいは規模を縮小します。神経質傾向の高い人は、熟慮が得意なのです!
その特性により、セールスや肉体労働よりも、熟慮が功を奏す知的専門職に向いているという報告もあります。
高い神経質傾向も、現代社会において有益な特性となるのです。
他のすべての特性についても言えるように、神経質傾向の高い人は、悩みや心配が消えることをただ願うのでなく、この特性が自分に与えてくれる強さや感受性、努力、そして洞察を理解すべきなのである。
世界には、これらがきわめて貴重な価値をもつニッチがあるのだ。
自分を卑下し、悲観し、不安に悩むのが神経質傾向の高い人です(僕の友人にもいます)。しかし、同時に自分の長所を理解できるような思考を身につけてほしいです。
(※神経質傾向についてより詳しく知りたい方は→こちら(過去記事)←へ)
(※こちらもどうぞ→『後ろ向きの人に「前向きになれ」と言わない方がいい理由』)
さて次回は、特性5因子『誠実性』についてまとめていきます。
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