Photo by Nicu Buculei
僕はゴルフをしますので、ゴルフの例え話をします。
少し想像してみてください。
僕には全く同じ実力のライバルがいるとします。ライバルのアダ名は竹ちゃん。
その竹ちゃんと、年間50試合の勝負をします。
そしてその結果、僕が勝てた試合が50試合中、19試合だったとしたら。。。
おそらく、ほとんどの人が、その結果を見て「星名より竹ちゃんの方が上手い」と結論付けることでしょう。
僕のスイングは竹ちゃんのスイングより悪いと指摘する人もいるでしょうし、僕の戦略が悪いと言う人もいるかもしれません。
ではさらに、翌年の50試合では、僕が50試合中30試合勝ったとしたら。。。
おそらく、ほとんどの人が、その結果を受けて、
「今年は星名が実力をつけて、竹ちゃんを上回った」と結論付けることでしょう。
竹ちゃんが調子に乗って練習しなかったんじゃないか?と言う人もいるでしょうし、僕のスイングが改善されたと言う人もいるかもしれません。
しかし、上の結果の真意は、僕や竹ちゃんの実力の変化ではなく、ほぼ全てたまたまだということです。
たまたまなのに、その結果から、必然的な理由を探してしまう。
これは、「少数の結果から大数の法則を見出してしまう」という認知の歪みです。
僕と竹ちゃんは全く同じ実力だと説明しましたので、
それだと、年間1万試合くらいすれば、僕の勝率は毎年ほぼ5割になることでしょう。
この、たくさん回数を積み重ねた時に現れてくる確率を、大数の法則と言います。
10000回などの大数であれば、ほとんど確率は同じになるのが特徴です。
コイン投げで考えると分かりやすいのですが、10回やそこら投げたときには、表と裏がぴったり50%になることなんてそうそうありません。
それが、100回、1000回、10000回と数が大きくなるにつれ、総数の確率は50%に限りなく近づいていきます。
「少数の結果から大数の法則を見出してしまう」というのは、
例えば、コイン投げを10回だけして表が7回出たときに、「このコインは表が出る確率がいつでも70%くらいになる!」と結論付けてしまうということです。
これがどんなにオカシナことかは、お分かりいただけると思います。
上のゴルフの例でも、
たったの50試合やそこらでは、確率論的には僕の勝率は4割にも6割にもなることがあるのです。それも結構な確率で。
なので、僕が19試合しか勝てなくても、翌年30試合勝ったとしても、それで僕の実力が上がっただの下がっただの、言うことはできないのです。
コイン投げで表が出るか裏が出るかと同じ、たまたま、なのです。
でもたまたまとは思えない。それが認知の歪みです。
(たまたまではない可能性も数%くらいはある)
前回記事『見たい結果を見てしまう心理』にて説明したように、
人は、自分の理論や信念を確立すると、自分の理論を肯定する事実にばかり目が行きます。
(本当は、否定する事実も多く存在するが、それを認知できていない)
そして、肯定する事例が数回~数十回という少ない事例数であっても、それを大数の法則にあてはめて考えてしまいます。
(数十回くらいであれば、たまたま上手くいっているだけの可能性が十分ある。しかし、たまたまではなく必然的として捉えてしまい、自分が正しいことの証明だと考えてしまう)
さらに!これだけでは済みません。
このたまたまを逆手にとって、否定的な事例が起きた時は「今回は体調が悪かったりして、たまたま結果が悪かった」と考えてしまうのです!
ややこしくなってきたので、ちょっと今までの内容を整理して、再び「コイン投げ」に例えて説明します。
あなたが、「私なら、コイン投げで10回中7回以上表を出すことができる」と考えたとします。
まずあなたは練習をします。そして、適当な時に、「じゃ、今から本番」と心に決めます。
でも、「本番」と思ってコインを投げたら、3回連続で裏が出てしまいました。
すると、あなたはこれを「たまたま投げ方が悪かった」として無かったことにします。ずるい。
そして、表が2〜3回連続で出たら、その連続して成功したところをスタート地点に変えるのです。邪道!
さらに、それでも途中で裏が連続で出てしまったら、それも「今のは練習ね」としてしまいます。小学生!?
そうやって、何度も何度もやっていくうちに、いつかはたまたま成功する時が来ます。
かくして、「10回中7回以上表が出せた!」という成功体験だけに注目することになります。
そして、たった数回の成功体験を、大数の法則と同様だと判断してしまい、「やっぱり私は正しい」と、さらに自分の理論に自信を持つのです。
自分にとって都合が悪いことが起きたら、それはたまたま。
自分にとって都合の良いことが起きたら、それは必然。
こうやってみると、とてもばかばかしいです。
でも、そんなばかばかしいことをしてしまうのが人の心理なのだそうです。
専門家や科学者でさえ、こういった認知の歪みによって考察を誤ってしまうことが確認されています。
(実験に失敗すると、成功するまで何度も実験を繰り返す傾向にある。一方、成功した実験に関しては、それを再確認する実験はあまり行われていない)
さらに、そういった認知の歪みを認識できない人ほど、「そういう人いるよね~、私は大丈夫だけど」と考えてしまう傾向にあるのだそうです。
博識で思慮深い人ほど、自分の思考にもある意味懐疑的で、内省的であり、「そんなの○○に決まってる」という断定的なことは言わないのだそうです。
認知の歪みを知って、色んな物事を正しく判断できる思考を養いたいものです。
さて次回は、「人生は思い通りになる」ということの真意を考察していきます。